高忍日賣神社の基本情報
詳細情報
公開時間
午前9時~午後4時(祭礼等により変更あり)
歴史
由緒[編集] 創祀年代は不詳である。伊予国伊予郡(現在の伊予郡とは多少異なる)にあって、南は山地や丘陵地帯、北は平野で水に恵まれ、早くから開けていたようで、大小の古墳群や大規模な祭祀遺跡、集落跡なども発掘されている。当社は、古代より皇室の崇敬が篤く、出産の際には勅使が差遣されたと伝わる。『伊予国風土記逸文』には聖徳太子道後行啓の折に伊予郡を巡ったとあり、当社に参詣して「神号扁額」を奉納した。奈良時代には、当社が開発領主となって付近一帯を開墾して神社の前を三千坊、後ろを千坊と称して境内八町余に及び、広大な神域を形成していた。また、神職の中には国府の役人を兼ねる者がおり、中央とも盛んに交流が...Wikipediaで続きを読む
御祭神
高忍日賣大神・天忍日女命・天忍人命・天忍男命
御由緒
聖徳太子が参拝されたといわれ、平安時代の『延喜式』に記載される歴史ある神社。 当社には特殊な神話がいくつも伝承されている。 特に有名な話は、初代神武天皇の父君日子波限建鵜葺草葺不合命が生まれる際の伝承である。 夫婦神が仲睦まじく船で海を渡る際に、妻神が急に産気づき近くの海岸で産屋を建てて、出産することになった。 しかし、海から多くの蟹がはい上がり産屋まで入り大変な難産になった。妻神が「高忍日賣大神」と一心に唱えると高忍日賣大神が顕現し、天忍日女命と天忍人命と天忍男命を遣わされた。 天忍人命と天忍男命は箒を作って蟹を掃き飛し、天忍日女命には産屋に入って産婆の役目をした。 これにより始めは難産だったが安産し、産屋が葺きあがらないうちに無事男児を産むことができた。 この神話から、当社の祭神は産婆(助産師)・乳母の祖神、安産・子育てをはじめ、厄除け開運・子授け・交通安全・商売繁盛・縁結びの神として多くの人々から崇敬されている。
引用元情報
「高忍日賣神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%AB%98%E5%BF%8D%E6%97%A5%E8%B3%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=88408915
概要
高忍日賣神社(たかおしひめじんじゃ、高忍日売神社)とは愛媛県伊予郡松前町にある神社。『延喜式神名帳』の伊予国伊予郡にその名が記載されている。全国で唯一、高忍日賣大神を奉斎する神社であり、産婆・乳母の祖神として、特に全国の助産師や教育関係者等の崇敬を集めている。境内には村松志保子助産師顕彰会が建立した「母子と助産師の碑」があり、毎年3月8日にイベントが行われる。神紋は「十六弁の菊」と「五七の桐」とを用いている。例祭日は毎年10月13日・14日・15日である。
体験
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