稲荷神社の基本情報
詳細情報
御由緒
聖武天皇の御世、神亀5年(西暦728年)9月の鎮座と伝えられている。 当初、高柳大明神と称していたが、元暦元年(1184)8月、流宮五社大明神と改められ、享保5年(1720)稲荷大明神と改め、後に稲荷神社と改称した。昔は、社地八町四方に及び、その中に七池七森があったといわれていた。 この神社の主祭神は稲の神として御神徳が霊妙だったため、江戸時代には藩主から二五〇石の社領寄進があり、五穀豊穣の祈願所として藩主または、奉行が御中屋敷(おなかやしき)まで出座して祓川で禊をし、奉幣に参伺したといわれている。松山藩唯一の稲荷神社であったため、五穀の神として崇敬が厚かったのだろう。 現在、境内には楠の巨木が今でも御神木と崇められており、参道には約80本の松並木が参拝者を迎えている。 拝殿には奉納絵馬が多く飾られている。