野田神社の基本情報
詳細情報
御祭神
大日孁神(おほひるめのかみ) 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと) 饒速日命(にぎはやひのみこと)
御由緒
往古より野田宮と称え、三座の神を斎祀したという古き社である。承平天慶の乱に藤原純友叛逆し、当郷古矢野郷城主野田新藤次忠勝は国司河野伊代守好方、好峯に属して血戦し、純友の首を刎ね、子息重太丸を生捕って、小野好古、橘遠保の実検を遂げて首級を都におくった。帝は忠勝の軍功を賞し神戸、古矢野、天山三郷を賜った。 後に子孫は忠勝の霊を神に祀り、野田権現と称したが天正18年野田宮に合祀された。 森八幡宮(境内神社) 建久3年8月15日野田権守越智智勝貞は、国司河野伊代守通俊の命により、山城国男山八幡宮を勧請し奉斎した。勝貞の父、新太夫盛貞は平氏討伐の軍功によって森の字の旗印を賜り河野一八衆に昇級した。子孫その霊を祀り八幡宮に合祀し、森八幡宮と称えた。