飯積神社の基本情報
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歴史
由緒[編集] 上古に、伊曽乃神社のご祭神、武国凝別命の孫である十城別王が、食物の神・倉稲魂命を創祀するとともに、この地に早くから住んでいた先住民が祀ってきた国魂愛比売を尊んで併せて祀ったのが神社の起源である。その創祀のころ、おそらく道後の出湯に来られた仲哀天皇と神功皇后が現在の社地である島山に立ち寄られ、繁茂している神木の櫟にて笏を作り、鎮魂祭をなされた。その時の神楽歌が「島山に櫟たかまき うつみさし 仕えまつるは おほい公達」である。 ご祭神の一柱である十城別王について、社記によると、吉備の武彦の姫の武媛が日本武尊との間に、讃岐国綾歌郡に坐す武卵王(たけかいこのきみ)と、伊予国神野郡(...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《主》倉稲魂命,《配》国魂愛比売,十城別王,気長足比売尊,足仲彦天皇
御由緒
神社由緒 当社を櫟津神社と称え、社地を櫟津岡と云う。櫟木(いちい)の神木が繁茂している。 仲哀天皇、神功皇后南国を巡幸の節、此の神木にて笏を作り、鎮魂の祭を修めたと伝えられ、万葉集巻十六に長忌寸億麻呂の古歌(櫟津)がある。 天正の兵火に、神物等焼失した。
引用元情報
「飯積神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%A3%AF%E7%A9%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=85687280
概要
飯積神社(いいづみじんじゃ)は、愛媛県西条市下島山に鎮座する神社である。旧社格は郷社。神紋は抱き稲束。太鼓台の「寄せがき」発祥の神社である。