両新田神社の基本情報
詳細情報
御祭神
新田義宗公(にったよしむね) 脇屋義治公(わきやよしはる)
御由緒
南北朝時代、南朝方の忠臣、新田義貞の三男義宗と従兄弟の脇屋義治は、北朝方と各地で転戦し、湯山の領主得能家に匿われ応永10年に共に当地で亡くなった。 後に、得能通義両将の墓辺に小宮を営み、河野通直は二廟を建立し上新田廟、下新田廟と称えた。その後合祀し、両新田神社と改めた。 明治時代に実業家として活躍し、松山高等商業学校(松山大学)設立時の費用を全額負担した新田長次郎(雅号 温山)、新田高校を設立した新田仲太郎は、当社御祭神の末裔であると言い伝えられている。 境内には、御杖椿、新田椿と呼ばれる椿の大木が有る。新田義宗が下向の際に使った椿の杖を土に挿し置き、それから根が出て育った椿で、その巨木は県下一で松山市の指定天然記念物になっている。