わかみやはちまんじんじゃ

若宮八幡神社


愛媛県松山市元怒和字宮浦甲1711
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

若宮八幡神社の基本情報



名称
若宮八幡神社
かな
わかみやはちまんじんじゃ

詳細情報

名称
若宮八幡神社
かな
わかみやはちまんじんじゃ
都道府県
愛媛
住所
愛媛県松山市元怒和字宮浦甲1711
行き方
情報募集中
御祭神
誉田天皇(ほむだのすめらみこと) 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと) 田心姫命(たごりひめのみと) 湍津姫命(たぎつひめのみこ) 市杵島姫命(いちきしまひめのみと)
御由緒
当社は天暦年中三吉五郎左衛門藤原喜基の創祀によるとつたえられている。 喜基は幼少に父母を失いその族藤原純友に養われ、承平4年純友が誅に服したとき、従者芋岡、田原、村上等の族人と共に密かに逃れてこの島に潜み、三吉氏の裔は代々当社の神職となって奉仕する。 その後文明五年島尻桑名二村の氏子人民等が神殿を再建する。永正年中河野通宣が暫しこの地に潜んで深く当社を尊崇し神領を献す。慶長2年越智丹波守通春同嫡子信濃守通清等朝鮮征伐に従軍するとき先ず当社に参籠し神前に松樹を植えて戦捷を祈った。寛永5年氏子人民等相議って社殿を再厳島神社築した。 嘉保2年に藤原喜勝等が神殿を建立し、忽那島大浦から八幡宮を勧請したのが8月15日である。 境内神社のうち、宮浦明神社及び當八幡神社は嘉保年中三吉喜勝が創祀し、大山積神社は文明年中三吉喜定が創祀し、信宮社は田原氏が斎き、春日神社は村上氏が奉斎したと称する。(大正5年発行の温泉郡神社誌より現代仮名遣いにし転記した。)
御利益
厄除け

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