波賀部神社の基本情報
詳細情報
御祭神
《主》大山積命,雷神,高龗神,《配》寛王命霊
御由緒
聖武天皇の御代、神亀5年(728)、伊予の豪族越智玉純が、大三島より勧請し、石井郷一宮三島大明神と称した。 後に、嵯峨天皇の皇子寛王が、伊予の国司として赴任されたが、貞観18年(876)この地で亡 くなられ、神社の傍らに遺骸を葬り、神霊を合祀したことから、社号を墓邊神社と改称した。 その後、陽成天皇の御代、元慶2年(878)、従五位下の階位を授けられたと三代実録にある。 後世、墓の字を忌み波賀部神社に改めた。 永禄、元亀年間に、大友義純、長曾我部元親が乱入した際には、三島大明神の社名額を掲げて危難を免れ、以後、王塚三島大明神と称えたが、明治14年、官許を得て、波賀部神社に復した。