圓明寺の基本情報
詳細情報
行き方
伊予和気駅 下車 (0.3km) 52【太山寺】より (自家用車)約10分 約2km (徒歩)約35分 約2km 54【延命寺】より (自家用車)約1時間 約38km (徒歩)約8時間30分 約34.5km
文化財
八脚門、厨子、木造阿弥陀三尊像のうち両脇侍立像(愛媛県指定有形文化財) 銅板の納札(松山市指定民俗文化財)
御由緒
圓明寺には、アメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されている。 大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしている途次、寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に打ち付けてあったのを見つけた。江戸時代の初期にあたる慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅が9.7cm、厚さ約1mmで破損のない納札としては、現存最古で例のない銅板製である。 奉納者の樋口平人家次は、京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立したことなどで知られるが、この納札でとくに注目されるのは、初めて「遍路」の文字が記されていることでもある。 縁起によると天平勝宝元年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされている。当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・圓明密寺」と称したという。 のち、弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰微、元和年間(1615〜24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。さらに、寛永13年(1636)京都・御室の覚深法親王からの令旨により仁和寺の直末として再建され、寺号もそのとき現在のように改められている。 圓明寺はまた、聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯籠があることでも知られる。
圓明寺へのアクセス
行き方
伊予和気駅 下車 (0.3km) 52【太山寺】より (自家用車)約10分 約2km (徒歩)約35分 約2km 54【延命寺】より (自家用車)約1時間 約38km (徒歩)約8時間30分 約34.5km