三奈良神社の基本情報
詳細情報
御由緒
三奈良神社は、重信川・表川・拝志川の合流する、清浄なる平地「みなら原」に鎮まる。推古天皇2年(594)の創祀と伝えられ、「奈郎三嶌宮(ならみしまぐう)」、または天照大神が御祭神なので「神明宮(しんめいぐう)」とも「瀧宮(たきのみや)」とも称したという。 本社は、創祀より、各時代の領主からの篤い崇敬を受けてきた。建長7年(1255)の「伊予国社寺等免田注進状」に「三奈良宮(みならぐう)」の記述があり、嘉慶二年(1388)、足利義満より拝志郷(はいしごう)総鎮守として「総社瀧宮三島神宮」と称えられて、神領が寄進された。応永4年(1397)には伊予の守護大名、河野通之(こうのみちゆき)が「総社瀧之宮三嶋大明神」と称えて社殿を改修し、鰐口(わにぐち)を寄進している。永正4年(1507)には「奈賀禮白鬚宮(ながれしらひげぐう)」(猿田彦神)を合祀した。永録3年(1560)天神森(てんじんがもり)城主・相原出雲守経秀が、「御奈良大明神」を再建して鼻高面を奉納し、それ以後「三奈良大明神」と称された。現在の本殿は、天保14年(1873)の再建である。