大戸神社の基本情報
詳細情報
文化財
集古十種 八五巻、松平定信編 羅龍王面、納曽利面
御由緒
社伝によると、十二代景行天皇四十年111、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征(とうせい)の時、蝦夷(えざ)征討祈願のため現在の香取市大戸の地に勧請し、幾度かの遷宮(同地区内)の後、三六代孝徳天皇自雉元年650、現在地に宮柱造営されたと伝えられております。 また、社伝では源義家が奥羽征討の時、その六男、義隆(陸奥六郎)は父に従い当社に参詣し、刀一口を奉献しました。正応2年(1289年)および明徳四年1393、両年に社殿造営の記録があり、後小松天皇の時、社領一萬貫を定められました。しかし、中世の武家紛争時代のため、兵乱にかかるところが多く、古文書など散失し、詳細については不明であります。 天正十八年1590、豊臣が関東を征した時、その武将浅野長政・木村重詮(常陸介)は、大戸荘内六力村の神領において軍士の乱暴放火などを厳禁する制令を下しました。同年徳川氏入国の後、香取神宮朱印地1,000石の内から100石を分配され、宝永四年1707徳川幕府将軍綱吉の手によって社殿を改造されました。これが現在の社殿であります。