たまさきじんじゃ

玉崎神社


千葉県旭市飯岡2126-1
電話:8:00~16:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

玉崎神社の基本情報



名称
玉崎神社
かな
たまさきじんじゃ

詳細情報

名称
玉崎神社
かな
たまさきじんじゃ
都道府県
千葉
住所
千葉県旭市飯岡2126-1
アクセス
交通[編集] JR東日本・総武本線 旭駅より、バス双葉町行きで「玉崎神社」下車徒歩1分、又は飯岡駅よりタクシー利用
行き方
銚子駅・旭駅を発着する千葉交通・銚子駅~旭駅間のバスを利用 バス停「玉﨑神社前」下車 徒歩1分
公開時間
電話:8:00~16:00
御朱印
あり
創建時代
景行天皇12年
文化財
【千葉県指定有形文化財】拝殿、本殿
歴史
歴史[編集] 社伝によると、景行天皇40年の創建とされている。日本武尊が東征の折、相模より上総に渡ろうとして海難に遭った際、弟橘媛が「これは海神の御心に違いない」と言って入水したので、無事上総国に着くことができ、葦浦(鴨川市吉浦)を廻り玉の浦(九十九里浜)に渡ることができた。そこで日本武尊は、その霊異を畏み、海上平安、夷賊鎮定のために、玉の浦の東端「玉ヶ崎」に、海神の娘であり神武天皇の母である玉依姫尊を祀ったと伝えられている。後世「玉ヶ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、海神を竜宮の神に付会して「竜王の鎮まり坐す崎」としたためという。 神道集に「玉崎大明神者、此国二宮」「同本地十一面...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《主》玉依毘売命,《配》日本武尊
御由緒
玉﨑神社は、景行天皇12年の御創祀と伝えられている。 天皇の皇子、日本武尊が東夷征討の砌、相模より上総にお渡りになろうとして海難に遭われた際、御后弟橘姫命(オキサキオトタチバナヒメノミコト)が「これは海神の御心に違いない」といって入水されたことで、無事、上総の国につくことができ、更に、海路葦の浦より下総玉の浦にお渡りになられた。そこで尊はその霊異を畏まれ、海上平安・夷賊鎮定のために玉の浦の東端「玉ケ崎」に海神玉依毘売命の神霊を斎き奉るによる。 後世、「玉ケ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、海神を竜宮の神に付会して、竜王の鎮まり坐す崎と言うようになったものである。中世には下総國二之宮・玉の浦総社と称され、武門武将の崇敬厚く、平貞盛・源頼朝・千葉常胤等が参拝され、それぞれ祈願や奉賽のために奉幣や社殿の造営にかかわられた。しかし、竜王岬の欠損がはなはだしく、加えて、天文2年に兵火にかかって社殿は烏有に帰したので、現今の地に御遷座申し上げた。 江戸時代に入って、上総國一宮(玉前神社)とともに九十九里浜を鎮護する神社として広く崇められ、佐倉藩主堀田氏・久留里藩主黒田氏等武人の崇敬はもとより、平田篤胤・平田銕胤・大国隆正等の文人が参詣している。この頃の飯岡は、九十九里の代表的な漁場として隆盛を極め、相模・三河・紀伊・伊予・阿波・和泉・安芸等の国々よりの移住者も多く、天保水滸伝に名高い飯岡助五郎もこの地に渡って社領地に住み、当神社の潮祭には一党を引き連れ参拝し、奉納角力を執行した。近年には、画家竹久夢二等も参詣し、「飯岡の明神様」として御神威赫々たるものがある。
引用元情報
「玉崎神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%8E%89%E5%B4%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=81842107
概要
玉崎神社(たまさきじんじゃ)は千葉県旭市飯岡(下総国海上郡)にある神社。下総国二宮(論社)。旧社格は郷社。 玉依姫尊を主祭神とし、日本武尊を配祀する。
体験
祈祷お祓いお宮参り七五三御朱印

バナー


参拝堂について
2017年4月に公開した神社お寺の投稿サイト「参拝堂」は、お陰様で月間450万ページビューを超え、毎月100万人以上の神社寺院・御朱印ファンが集うサイトになりました。
公式神社も880件を超え、神職様僧侶様にもご愛用いただいております。
「参拝堂」は「100年後にも感謝される事業」という理念を掲げた株式会社●●●●が運営しています。