大龍寺の基本情報
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文化財
金泥板石塔婆 大竜寺の由来厨子板碑 観音像厨子 黒うるし塗り裏板に彫刻文あり
御由緒
全龍和尚の時、本尊千手観世音菩薩像の入っている厨子の修理をした際、釣鐘に刻んであったと同じことが漆の板に刻み、厨子の中に嵌こまれているのが見つかった。文面は 「原夫宝雲山大龍寺者大同年中開創境内三万坪余眩圓律師一見此地結草庵律行昼夜不怠也 …計四百九十一文字…云々 喝 ★元禄十四辛巳歳季夏吉日 花園末枝当山廿四世 安禅祖泰謹記焉 本願主 片野新福寺隠居 秀道祖教 小野村木寄木エ衛門 江戸小伝馬町大彿師長浜エ と 記してあった。…大同年間806-810の創建で現在は臨済宗妙心寺派に属し、応安元年1368、矢作城主六代国分胤詮(国分三河守入道寿観)が境内地を寄進、伽藍を建立し、鎌倉建仁寺の大航慈船和尚を開基とする。そして矢作城主国分氏の禅寺として長年栄えたが後衰微し、元亀年中に博学多才の大蟲宗岑和尚が下野の雲岩寺より来て中興開山し、盛んになり、代々有名な学僧が住職をつとめた。