東漸寺の基本情報
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御由緒
木曽左馬頭兼伊豫守源義昌公は朝日将軍木曽義仲公19代の子孫にして奥方は武田信玄の息女万里姫なり、天正十八年八月、義昌公はその子義利と共に徳川氏の武将として遠く木曽福島から下総網戸城に移り来り1万石を領せらる。 木曽氏の宿将山村甚兵衛、千村平右衛門、馬場半左衛門等の屋敷は城の屋敷は城の東南西南に配置され、城下を画して街づくりを行い、ために網戸村繁栄す。 木曽義昌公は木曽家累代の菩提所として城の一隅に東漸寺を建立し木曽より随身の悦道和尚によって開基せらる。 義昌公は戦国の武将なれども頗る奉佛祟祖の念篤く領民に善政に施せり領民その徳を偲び公を当地興隆の祖と仰ぎ参拝の絶ゆる事なし。 文禄四年3月17日義昌公薨じ遺言に依り城の亜北の江中に葬り奉る。 其砌は漫々たる椿湖の入江なりしが元禄年間椿湖開発され御水葬の辺りも干潟と成りし故御墓を改修し今に至る。