舞戸正八幡宮の基本情報
詳細情報
御由緒
左衛門尉、 紀直庸、 応仁の乱 (西暦1467年)の為、 主君である四位大宰大弐に従って京を逃れて鰺ヶ沢に至る。 文明9年(西暦1478年)大弐死去後、 直庸は舞戸郷に移り小社を建て主君の霊と先祖代々の氏神を奉齋する。 天文年間 (西暦1532年頃)三代直芳、 紀を木村と改め八幡宮を勧請し、 慶長年間(西暦1596年頃)木村相模が再興した由ある。 又、 延宝7年(西暦1679年)舞戸、 館、 田浦村三ヶ村にて再建、 明和3年(西暦1766年)七代藩主津軽信寧公により赤石組(現在の鰺ヶ沢町・深浦町)五十三ヶ村の鎮守祈願所とせられ、明治6年(西暦1873年)郷社に列格。明治12年(西暦1879年) 館・元田浦(上野)鎮座の稲荷神社二社を合祀する。