法霊山龗神社の基本情報
詳細情報
公開時間
【参拝可能時間】 24時間 【神符受所対応時間】 8:30〜17:00 【休務日】 無し ※出張祭典などで神職全員が不在の場合、御朱印対応できない場合があります。
文化財
【八戸市指定文化財】 ・武田信玄と屋台一式 ・太公望と屋台一式 ・享保六年記年銘鉾先 ・万年暦 【青森県指定重要無形民俗文化財】 ・龗神社法霊神楽 【国指定重要無形民俗文化財】 ・八戸三社大祭の山車行事 【ユネスコ世界無形文化遺産】 ・八戸三社大祭(登録名:山・鉾・屋台行事)
歴史
歴史[編集] 法霊山龗神社の起源には諸説あるが、元来八戸村柏崎地区(現在の八戸市中心地域全般の事)の産土神、そしてこの地域の農業用水などを賄っていた柏崎堤の守護神として創始されたお宮であるという説が有力である。 この創建年代に関しては、大和朝廷による蝦夷征討以降、北東北の地に神社という概念が持ち込まれた頃にはすでに産土信仰は定着していたため、これを創建根拠とするならば後の武家による氏神信仰に由来する神社などよりも古くから存在していたと考えられる事が龗神社が市内で最も古くから存在したとする一つの理由と考えられている。 この創建年代に関しては研究者や郷土史家の間でも見解が分かれており、産土信...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「龗神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%BE%97%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=79277853
概要
龗神社(おがみじんじゃ)は、青森県八戸市内丸に鎮座する、旧陸奥國八戸藩総鎮守にして、市内最古と言われる神社である。その歴史は記録上では約1000年前の平安後期にまで遡り、伝承を辿るとさらに遡ると判断できる。正しくは法霊山龗神社(ほうりょうさんおがみじんじゃ)といい、法霊神社、法霊山という通称でも呼ばれている。 江戸になり盛岡に南部藩が誕生すると、その領内にある八戸城の館神とされていたが、江戸時代初期の1665(寛文5)年に八戸藩が成立すると藩神の地位を得て八戸藩総鎮守となり、大名家南部氏の祈願所となった。それに伴い規模拡張とともに八戸城内二の丸に遷座された事もあり、当時は一般領民は参拝が許されない神社だった。 現在では、市中心部鎮座という場所柄や古来より八戸の総鎮守であるという特性などから、地元の老舗企業や中央大手企業の支社支店などは龗神社の崇敬企業となっている所が多く、地元経済界の一部ではそれを名誉と捉える風潮が事実として存在している。この影響もあり龗神社の崇敬者はとにかく熱狂的な人々が多く、特別視する傾向も根強い。 また、八戸三社大祭(重要無形民俗文化財、ユネスコ世界無形文化遺産)発祥の神社であり、現在も神社が所蔵している御神輿が長者山に渡る事が三社大祭の本来の由緒である。 この神社の「おがみ」の漢字は珍しい文字で、雨かんむりの下に「口」を横並びに3つ、その下に「龍」を書く。 一説によると、源義経の正室と言われる京の久我大臣(こがのおとど)の娘が自害した場所と伝わり、その御霊が祀られているという伝説が伝えられている場所でもある。
体験
祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三世界遺産御朱印お守り重要文化財祭り