愛宕神社の基本情報
詳細情報
御由緒
愛宕神社がこの地に祀られたのは、桓武天皇の延暦二十年(801年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷地平定の際、蝦夷の首領悪路王を征討するにあたって、愛宕大神に戦勝祈願をし、その霊威によって賊を討つことができた事を報謝し、物見の丘とした愛宕山の頂上に祠を建てて祀ったのが始まりと伝えられている。 また、平安時代に入り、源義家が弟の義光をして大刀を、藤原清衡が神像の厨子をそれぞれ奉納したと伝えられている。 その後戦国時代に至って、この地を支配した小野寺氏や最上氏なども当神社を崇敬した。 慶長十年(1605年)には南家佐竹義種がこの地を支配するようになると、社殿を再建して社領五十石を寄進し、例祭日には湯沢城主自らが祭りを取り仕切る祭主となって祭りを執行した。 毎年八月の古例祭神輿渡御と共に行われる大名行列は、正徳四年(1714年)湯沢が藩内で七番目の町となったことを記念して行われるようになり、現在では往時を偲ぶ三百年の伝統をもつ祭礼行事である。 慶応二年(1866年)に白川神祇伯王より正一位の神位を奉遷される。 明治十二年(1879年)村社に認定される。 同二七年(1894年)、伏見宮貞愛親王殿下が官軍下向の際に当神社を参拝し、奉幣される。 明治の代に入り、この地の篤志家が境内を整備拡張し、愛宕山は「愛宕二八景」と呼ばれる程の景勝地となり、現在も愛宕公園として市民に親しまれている。また、社殿も新しく造営し神威を高揚し、明治三十年(1897年)四月には県社に昇格した。 昭和五十八年(1983年)一月、一級社に認定される。 なお、愛宕神社の年間行事としては正月の元旦詣に始まり、二月二十四日の初祭典、九月第四日曜日の古例祭の御神輿渡御、大名行列等がある。