真山神社の基本情報
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歴史
由緒[編集] 社伝によれば、景行天皇の御代、武内宿禰が北陸地方諸国視察のため男鹿半島へ下向の折、涌出山(わきいでやま、現在の男鹿真山・男鹿本山)に登り使命達成と国土安泰・武運長久を祈願して瓊瓊杵命・武甕槌命を祀ったのが始源とされる。平安時代以降仏教の伝播が男鹿へも至り、貞観年中には慈覚大師によって涌出山を二分し、北を真山、南は本山としたと伝えられる。以来修験の信仰が昂り、天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合された。南北朝時代には真山別当光飯寺は真言宗に転じ、支配も東北豪族の安部氏・清原氏・藤原氏と移りながらも、その庇護のもとに修験霊場として一山繁栄を誇った。江戸時代には国内...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《合》天照皇大神,豊受姫命,《主》天津彦火瓊瓊芸命,豊玉毘女命,少彦名命,武甕槌命,伊邪那岐命,大山咋命,塞神三柱大神,大名持命
引用元情報
「真山神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%9C%9F%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=89109170
概要
真山神社(しんざんじんじゃ)は秋田県男鹿市北浦字真山にある神社。江戸時代は秋田六郡三十三観音霊場の27番札所として赤神山光飯寺があった。しかし、明治の廃仏毀釈運動で真山神社となった。