楽水亭庭園 大龍寺の基本情報
詳細情報
公開時間
拝観時間4月~10月午前8時30分~午後4時30分 11月~3月午前8時30分~午後4時 年中拝観できます。 拝観時間中は御朱印の受付をしていますが、僧侶不在の場合は書置きになります。 直書き希望の方は電話にて予め確認して下さい。郵送希望(書置きのみ)の方はメールにて申込み下さい。
お手洗い
お寺の建物の中に2か所のトイレが御座います。
御朱印
あり「龍王殿」には大龍寺鎮守「解脱飛龍大龍王」が奉
文化財
蝦夷錦九条袈裟 蝦夷錦とは蝦夷地(北海道)を経由して伝わった中国清時代の官服や中国産絹織物のこと。北海道・東北を中心に80点ほどが現存。県内では袈裟・陣旗・陣羽織などとして残っています。 大龍寺の寺伝によると、安東愛季からの寄進とされ、カラフルな龍の図柄から、通称「お花畑の袈裟」と呼ばれていました。平成20年3月24日 市指定文化財
歴史
歴史[編集] 永禄年中(1558年 - 1570年)にまでさかのぼる。男鹿半島女川に居して一帯を支配していた尾名川基季が、それまでは密教寺院であった当寺を天正5年(1577年)に仙台藩黒石から台厳俊鏡という禅僧を請して禅宗(曹洞宗)寺院として再興開山した寺で、尾名川氏の菩提寺であったが、後に脇本生鼻城主、安東安倍愛季(後に秋田城主となり秋田氏を名のる)が尾名川を滅ぼし、寺を脇本に移して安東家の祈願寺とした歴史がある。 その後、西洋美術史家で慶應義塾大学教授の澤木四方吉が亡くなった時に、父・澤木晨吉が別荘だった12000坪の屋敷を寺院に寄進し「楽水亭」としている。澤木と親交があった民俗学者...Wikipediaで続きを読む
御本尊
御本尊 釈迦牟尼佛 勅号秀官一位 解脱飛龍大龍王 亀藏常安大亀王 350以上の佛像を参拝頂けます。
御由緒
男鹿半島を支配していた尾名川基季が、密教寺院であった当寺を天正5年(1577年)に台厳俊鏡和尚を請して曹洞宗寺院として再興した。後に脇本生鼻城主、安東安倍愛季が尾名川を滅ぼし、寺を脇本に移して安東家の祈願寺としました。 その後、西洋美術史家で慶應義塾大学教授の澤木四方吉が亡くなった時、父・澤木晨吉がその供養のために別荘だった12000坪の屋敷「楽水亭」を寺に寄進した。澤木と親交があった民俗学者であり歌人でもある折口信夫の歌碑があります。
引用元情報
「大龍寺 (男鹿市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E9%BE%8D%E5%AF%BA%20(%E7%94%B7%E9%B9%BF%E5%B8%82)&oldid=86068034
概要
大龍寺(だいりゅうじ)は、秋田県男鹿市にある曹洞宗の寺院。山号を海蔵山とする。本尊は釈迦如来。龍神の美女伝説をはじめ、鐘楼堂を兼ねた多宝塔は日本で唯一で、多くの文人が訪れた寺院。12000坪の敷地内に、広大な浄土式庭園を有する。秋田新四国八十八ヵ所第四十六番霊場。
体験
坐禅(座禅)写経・写仏祈祷お祓い仏像傾聴御朱印お守り重要文化財人形供養花の名所札所・七福神巡り除夜の鐘伝説法話