満福寺の基本情報
詳細情報
御由緒
貞治四年1365小笠原氏が増田築城にあたり、城地近傍の清光院跡に造寺したことによるとしている。小笠原義冬は城館の無事長久を願い、貞治四年1365 大槃若経六百巻を写経奉納するが、この現存する経文と当寺開山像の墨書東谷山により、その経緯の大凡が知らされる。そして、天台宗より曹洞宗に替わるが、その上限の板碑の応安四年碑1371年にまで確かめられる。 しかし、篤信の増田城主・小笠原氏は南北朝以来の政変と奥州争乱の最中で、遂には遠く仙北郡楢岡城に北走する。代わって増田入城の土肥次郎高平も外護心に篤く、一ノ関から亀道文賀和尚を勧精し、中興に預かるが、亀道文賀和尚は願成寺、開山の師、梅栄元香和尚を開祖に自らは二祖となる。応永十九年1412である。