八幡社(江端八幡社)の基本情報
詳細情報
御由緒
創建は不詳であるが所蔵する寛文10年(1670)8月3日の棟札に「奉上弓箭八幡宮一宇守護所」とあり、すでに屋根のふき替えが行われていることは、それ以前に祠のあったことを意味する。 天文年間(1532~1555)に加藤孫八という人がこの地に移住した。加藤家の所蔵する棟札によると、代々当社の神主を世襲しているところから、天文年間の創建ではないかと思われる。 社伝によれば、創建当初は現在地より東へ200メートル鞍流川畔の上清蔵に一社を設けていたが、たびたび洪水にあった。安政3年(1856)の大洪水を機に、北にあたる大峯山の頂きに社を移したが、後年再び現在地に移したと伝えられる。この間(寛文10年~明治2年)の10枚の棟札によると、すべて宝竜山延命寺住職が遷宮導師をつとめているところから、当寺の支配下に置かれていたことがわかる。今も上清蔵の元宮の地には、人家の軒先に3.3平方メートルほどをブロックでかこまれた「八幡神社本宮」の碑が建っている。 『寛文覚書』にも「一社七ヶ所内」に八幡の名がすでにみえ、弓箭八幡宮あるいは若宮八幡社と称されていたが、明治11年に八幡社と改称された。