高讃寺の基本情報
詳細情報
文化財
本尊「聖観世音菩薩」平安時代の作。関東地方に多いなた彫り。この辺りはでは珍しい。西限ともいわれている。(県指定文化財)
歴史
由緒[編集] 白鳳12年(684年)、行基により天武天皇の勅願寺として創建されたと伝わる[1][2]。かつて七堂伽藍300坊を有する巨刹であり、岩屋寺・観福寺とともに知多三山の一つに数えられた[1]。天文6年(1537年)、織田信秀と今川義元の兵火により、堂宇の大半が失われた[2]。その後も文禄年間や明治時代にも兵火や失火があり、現在は南の坊一院を残すのみになっている[1][2]。仁王門の仁王像は、1537年の兵火から逃れるため近くの池に入れられたもので、江戸時代になってから引き上げられている[2]。 ^ a b c 『知多四国巡礼』(歴遊舎) ^ a b c d 現地案内板より ...Wikipediaで続きを読む
御由緒
白鳳12年(684)行基により天武天皇の勅願寺として創建。 かつては七堂伽藍を有する大寺院であった。 天文6年(1537)織田、今川の戦火に遭い堂塔末坊の大半を失う。 文禄年間(1592~1596)にも兵火で七堂伽藍三百坊といわれた巨刹は、南の坊一院を残すのみとなる。
引用元情報
「高讃寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%AB%98%E8%AE%83%E5%AF%BA&oldid=78131422
概要
高讃寺(こうさんじ)は、愛知県常滑市にある天台宗の寺院。山号は御嶽山。知多西国三十三所霊場第12番・知多四国霊場第61番札所。
札所
知多四国 第61番札所 知多西国 第12番札所