水分神社(上条弁財天)の基本情報
詳細情報
御由緒
仁安元年(1166)後白河上皇は、皇姫高倉三条女御の料荘として碧海の庄を新設し、その荘園の経済交流のために現岡崎市上青野町に市場を開き市場神として弁財天を祭祀された。 慶長6年(1601)岡崎城主本多豊後守康重公は、旧友の米津盛円大僧都が上条白山媛神社の神宮寺(神光寺)の別当職に内定したのを喜ばれて、福の神を贈ろうといって青野弁財天を贈られた。 その勧請の時たくさんの石に経文を書き写して敷ならべその上に社堂を建立したという。 その後不思議なことに地下より清水がこんこんと泉の如く涌きいでそれ以後いかなる旱魃時にも絶えることなくあまねく田畑をうるおし豊穣の恵みを村民にもたらし病めるものはこれを癒し、悩めるのには神霊により苦悩を解かれたという。 泉より涌き出る清水は、田方250石(625俵)の豊かな稔りを村民にもたらしたという。 御霊水は昔から「おでき」「いぼ」「眼痛」が速やかに治るといわれ又音曲、芸能の神、子宝を授かる神として、信仰する方が多く、近年事業の繁栄、進学、良縁、長寿、交通安全等の祈願する人が多くなって参りました。 (由緒碑より)