真清田神社の基本情報
詳細情報
行き方
JR東海道本線「尾張一宮」から徒歩約10分 名鉄名古屋本線・尾西線「名鉄一宮」から徒歩約10分
御朱印
あり真ん中に真清田神社、その右に尾張國一之宮と書か
歴史
目次 1 歴史 1.1 創建 1.2 概史 1.3 神階 歴史[編集] 創建[編集] 創建について現在の真清田神社社伝では、祭神の天火明命は大和国葛城地方(現・奈良県葛城地方)の高尾張邑を出て、神武天皇33年3月3日に当地で鎮祭されたのが始まりとする[1]。 一方古文献では、真清田神社の創建に関して初代神武天皇の時とする説、第10代崇神天皇の時とする説の2説が知られる[2]。 神武天皇年間説 『一宮神宮記』や『尾張国一宮伝記』など近世の文献に見られる伝承。両書では神武天皇年間、『尾張国名所図会』では神武天皇33年3月3日に祭神が「松降荘青桃丘」(現社地)に鎮座したとする[...Wikipediaで続きを読む
御由緒
当社の鎮座は、社伝によれば神武天皇33年。 当社は、平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、神階は正四位上に叙せられ、尾張国の一宮として、国司を始め人々の崇敬を集めました。鎌倉時代には、順徳天皇は当社を崇敬され、多数の舞楽面をご奉納になりました。 その舞楽面は、現在も、重要文化財として当社に保存されています。 江戸時代には、徳川幕府は神領として、朱印領333石を奉りました。また、尾張藩主徳川義直は、寛永8年(1631)当社の大修理を行う等、崇敬を篤くしました。 明治18年には国幣小社、大正3年に国幣中社に列し、皇室国家から厚待遇を受けました。 戦後は、一宮市の氏神として、一宮市民はもちろん、尾張全体及び近隣からも厚い信仰心を寄せられ今日に至っています。 尚「一宮市」の名称も当社が尾張国一宮であることに由来しており、全国で「一宮」の名称を冠する自治体は1市6町に及びますが、市制のひかれている自治体は当社の鎮まります一宮市のみとなります。
引用元情報
「真清田神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%9C%9F%E6%B8%85%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=85936674
概要
真清田神社(ますみだじんじゃ、眞清田神社)は、愛知県一宮市真清田にある神社。式内社(名神大社)、尾張国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
行事
祭事[編集] 真清田神社で年間に行われる祭事の一覧[1]。 歳旦祭 (1月1日) 神楽始祭 (1月2日) 初午大祭 (3月旧初午) 勧学祭 (3月下旬) 短冊祭 (4月1日) 歩射神事、試楽祭 (4月2日) 例祭 (4月3日) 「桃花祭(とうかさい)」と称される。祭神の天火明命が神武天皇33年の旧暦3月3日に初めて鎮祭されたという伝承に基づく祭。祭では桃の小枝を神前に供え祭祀を行うほか、神輿が伝統的な行列とともに御旅所まで渡御する。この祭は、文献上で応永年間(1394年-1427年)までは確実に遡るとされる[2]。 舞楽神事 (4月29日) 御田植祭 (5月第2日曜) 一宮七夕まつり ...Wikipediaで続きを読む
札所
東海五県一之宮巡り 一宮巡りは、江戸時代の神道学者橘三喜が延宝3年(1675)から23年かけて全国一宮を巡拝し、その記録を『諸国一宮巡詣記』として著し、これをきっかけにして多くの人々が一宮の巡礼を行うようになったのが始まりといわれています。真清田神社では、全国一の宮御朱印帳も頒布しています。 (東海五県一宮巡りのご案内 真清田神社より)
体験
祈祷おみくじお祓い絵馬結婚式七五三御朱印博物館お守り重要文化財祭り札所・七福神巡り一の宮
真清田神社へのアクセス
行き方
JR東海道本線「尾張一宮」から徒歩約10分 名鉄名古屋本線・尾西線「名鉄一宮」から徒歩約10分