信光明寺の基本情報
詳細情報
御由緒
案内板によると、 信光明寺は、宝徳3年(1451)に岩津城主松平三代信光が、祖父親氏、父泰親の菩提をとむらうために創立したものである。釈誉存冏上人を開山とし、信光の名をとり信光明寺と名づけられた。 観音堂は、棟札によれば文明10年(1478)に建立されたもので、方三間、入母屋造り、こけら葺きで、周囲を石で畳んだ土壇上に立ち、土間床となっている。その構造は、正面中央間を入口とし桟唐戸をとりつけ、両脇間に花頭窓を設け、斗組は二手先詰組、軒は二軒扇垂木、内部は周囲一間通りを化粧屋根とし、入側斗組で囲われた身舎部分を鏡天井張りとし、後方の入側柱と前方の側柱上斗組との間に大紅梁をかけ、前の入側通りに大瓶束を立てている。 この堂は、中国から禅宋が伝来すると同時に日本に輸入された禅宋仏殿という建築様式でつくられており、日本建築の歴史の重要な一端を担った建築様式の実例が残されている点で貴重な建築物といえる。