土呂八幡宮の基本情報
詳細情報
行き方
名鉄バス「福岡町」または「願成寺前」下車 いずれも徒歩5分
公開時間
祈願/土曜・日曜 9:00~16:00 平日は問合せ
文化財
本殿一棟(国指定重要文化財) 阿弥陀如来坐像(県指定重要文化財)
御祭神
《主》応神天皇,天照皇大神,《配》白山姫命,伊雑大神,罔象女命
御由緒
当社創立の由来を伝えるに、永禄7(1564)年3月一向宗騒乱(三河一向一揆)の際、戦火を被り縁起、社歴等は焼失し詳細を知る由なきも、残存している遺物文献によれば、遠く奈良朝の末年か平安朝の初期と思われます。 永禄の頃までは、随神門が有り、また神宮寺も建立しており、付近一帯の鎮守産土神として尊敬厚き総社でした。 応仁元(1467)年正月、真宗本願寺八代目蓮如上人が当地に来て、神宮寺の側に寺(土呂御坊本宗寺又は善秀寺)を建立し、三河門徒の拠点地となる。かくして浄土真宗隆昌し、僧兵を置いて勢力を振るう。是により神宮寺はもちろん、当社の社運日に月に衰微してしまいました。然るに、永禄6年(1563)一向宗の騒乱蜂起し、翌7年徳川家康に攻められ本宗寺滅亡したので、家康の家臣石川数正が乱後の平定に努めると同時に八幡宮の社殿を造営し、鏡二面を奉納すると伝わります。 元亀年中(1570~72)に至り、神宮寺は退廃はなはだしく再興の余地なく本尊佛のみ修理し、当社の拝殿に安置し、寺門廃滅にいたりました。 元和2年(1616)幕府代官畔柳寿学が当所を支配するに当たり、寿学社参して本殿拝殿等の再建を命じ、同5年9月落成しました。
引用元情報
「土呂八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%9C%9F%E5%91%82%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=88322387
概要
土呂八幡宮(とろはちまんぐう)は、愛知県岡崎市福岡町にある神社。本殿は重要文化財に指定されている。
土呂八幡宮へのアクセス
行き方
名鉄バス「福岡町」または「願成寺前」下車 いずれも徒歩5分