おおすかんのん(きたのさんしんぷくじほうしょういん)

大須観音(北野山真福寺宝生院)


愛知県名古屋市中区大須2-21-47
9:00〜1700
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

大須観音(北野山真福寺宝生院)の基本情報



名称
大須観音(北野山真福寺宝生院)
かな
おおすかんのん(きたのさんしんぷくじほうしょういん)

詳細情報

名称
大須観音(北野山真福寺宝生院)
かな
おおすかんのん(きたのさんしんぷくじほうしょういん)
都道府県
愛知
住所
愛知県名古屋市中区大須2-21-47
行き方
名古屋市営地下鉄 鶴舞線「大須観音駅」2番出口より出て徒歩3分。 名古屋市営地下鉄 鶴舞線・名城線「上前津(かみまえづ)駅」8番出口から徒歩約6分。 名鉄バス「白川公園前」または「矢場町」バス停から徒歩6分。
公開時間
9:00〜1700
参拝料
なし
御朱印
あり真ん中に梵字、大悲殿と書かれ、右上に真言宗智山
御朱印帳
あり
宗旨・宗派
真言宗智山派
山号
北野山
院号
寳生院
開山・開基
(開山)能信上人
創建時代
元弘三年(1333)
文化財
南北朝時代現存最古の古事記写本(国宝)
歴史
歴史[編集] そもそもは建久年間(1190年 - 1199年)に建立された尾張国中島郡長庄大須(現・岐阜県羽島市桑原町大須)にあった中島観音が発祥であるという[1]。 元亨4年(1324年)に後醍醐天皇によりその地に北野天満宮が創建される。元弘3年(1333年)に同社の別当寺として僧能信が創建した真福寺とその塔頭宝生院が当寺の始まりである。そして、摂津国四天王寺の観世音菩薩を移して本尊としたとする[WEB 1]。その後、後村上天皇により伽藍が建立され、勅願寺となっている。 3代目住職である任瑜法親王の時には寺領1万石となり、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃6か国の真言宗寺院を末寺として...Wikipediaで続きを読む
御本尊
聖観世音菩薩
御由緒
元は現在の岐阜県羽島市にあった大須観音。御開山は能信上人です。真言宗智山派の別格本山で、ご本尊は弘法大師作聖観世音菩薩。寺号は「北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)」と言いますが、大須観音と呼ばれ広く親しまれています。そして、国宝の『古事記』の最古写本「真福寺本古事記」をはじめ、貴重な古典籍を多数所蔵しています。慶長十七年(1612)、清州越しの一環として、家康が名古屋への移転を決めた理由にこれら古典籍を水害から守るという目的があったとされています。
引用元情報
「大須観音」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E9%A0%88%E8%A6%B3%E9%9F%B3&oldid=89499686
概要
大須観音(おおすかんのん)は、愛知県名古屋市中区大須にある真言宗智山派の別格本山の寺院。山号は北野山。本尊は聖観音。寺号は北野山真福寺宝生院である。宗教法人としての公称は「宝生院」(ほうしょういん)だが、一般には「大須観音」の名で知られる。日本三大観音の1つともいわれる観音霊場。なごや七福神の一である布袋像を安置する。寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」がある。
札所
日本三大観音 東海三十六不動尊第10番 尾張三十三観音第1番 なごや七福神・布袋尊 名古屋廿一大師 第1番札所
体験
写経・写仏おみくじ御朱印国宝札所・七福神巡り

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