なごやじんじゃ

那古野神社


愛知県名古屋市中区丸の内2-3-17
御朱印•お守りの授与時間 9:00~17:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

那古野神社の基本情報



名称
那古野神社
かな
なごやじんじゃ

詳細情報

名称
那古野神社
かな
なごやじんじゃ
都道府県
愛知
住所
愛知県名古屋市中区丸の内2-3-17
アクセス
交通[編集] 名古屋市営地下鉄鶴舞線・桜通線:丸の内駅から徒歩で約10分。 名古屋市営バス:「名古屋駅」停留所より幹名駅1系統または名駅14系統に乗車。「外堀通」停留所下車すぐ。
行き方
名古屋地下鉄鶴舞線・桜通線「丸の内駅」から徒歩10分 名古屋市営バス「名古屋駅」停より幹名駅1系統または名駅14系統に乗車。「外堀通」停 下車すぐ
公開時間
御朱印•お守りの授与時間 9:00~17:00
御朱印
あり
歴史
歴史[編集] 創建は延喜11年(911年)3月16日、醍醐天皇の勅命で八王子社や若宮八幡社の隣に建立されたと伝わっている[1]。 津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ、現・津島神社)を総本社とする天王社のひとつであった[1]。つまり創建時、当社の祭神は牛頭天王であった。 天文元年(1532年)、織田信秀が今川氏豊から那古野城を奪う際に合戦となり、それに巻き込まれて社殿を焼失したが[2]、天文8年(1540年)に信秀により再建されている[2]。また、後には別当寺である亀尾山安養寺(天王坊)も隣に建立されている。 文禄4年(1595年)、豊臣秀吉により社領348石が寄進される[3]。 慶長...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《主》須佐之男神,櫛稲田姫神,《配》兵主神,八柱神
御由緒
(名古屋市教育委員会の掲示板「那古野神社」」より) 延喜十一年(九一一)の創建といわれ、素盞嗚尊を祭神とする。元は天王社又は亀尾天王社ともいい、城内三の丸にあった。慶長十五年(一六一〇)名古屋城築城の際、徳川家康が御神籤(おみくじ)で持って神意を伺ったところ、遷座不可と出たため、そのまま城内に留まり城の鎮護、名古屋の氏神として祀られた。明治九年(一八七六)、現在地に移され、明治三十二年那古野神社と改称された。
引用元情報
「那古野神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%82%A3%E5%8F%A4%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=89544385
概要
那古野神社(なごのじんじゃ、なごやじんじゃ)は、愛知県名古屋市中区丸の内2丁目にある神社。旧社格は県社。
行事
例祭[編集] 江戸時代では、例祭である天王祭は東照宮祭、若宮祭とならんで名古屋三大祭とされ、特に若宮祭とは同日であった(現在は別の日)ことから祇園祭と総称された。車楽(だんじり)2両と見舞車10数両が曳き出され賑やかなものであったが空襲で車楽などの大半が失われ[1]、現在では車楽1両が境内に飾られるほか、若宮八幡社への神輿渡御が行われる[2]。 また、5月16日の若宮祭では、かつて隣接していた若宮八幡社の山車1両と神輿が、当神社との間を往復する。 ^ 引用エラー: 無効な タグです。「tabi」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ “那古野神社天王祭”...Wikipediaで続きを読む
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