けんりゅうざんくおんじ

賢隆山久遠寺


愛知県名古屋市中区
午前7時〜午後5時まで
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

賢隆山久遠寺の基本情報



名称
賢隆山久遠寺
かな
けんりゅうざんくおんじ

詳細情報

名称
賢隆山久遠寺
かな
けんりゅうざんくおんじ
都道府県
愛知
住所
愛知県名古屋市中区
行き方
◆公共交通機関でご来寺の方へ ⑴地下鉄東山線新栄駅一番出口より徒歩5分。 マザックのビル横に出ましたら、交差点斜め向かいに見える『名古屋園芸』の方へ。名古屋園芸から交差点「広小路葵」を渡り、右手に見えるファミリマート方面へ歩きます。ファミリーマートを越え、『河野漢方薬局』の手前の道を左に曲がります。左に曲がってから50m先に当寺正門があります。 ⑵地下鉄東山線栄駅より徒歩10分。中日ビルのある広小路通りを東に進み、中区役所を越えます。中区役所から東急ホテル、CBC放送局を越えたら、レオパレス21の手前の道を右へ。右へ回られたら、一本目をすぐ左に曲がっていただき、50mほど進みますと、右手が当寺の裏口となります。正門までは、当寺の壁伝いに歩いていただき、右へ曲がると当寺正門となります。 ◆車でご来寺の方へ 名古屋高速東新町出口、吹上東出口が最寄。
参拝時間
3分
公開時間
午前7時〜午後5時まで
参拝料
なし
お手洗い
なし
宗旨・宗派
真宗高田派
山号
賢隆山
開山・開基
浄光上人
創建時代
1610
御本尊
阿弥陀如来像
御由緒
往昔 当寺は、伊勢国楠村の城下にありました。 永禄十年(1567) 伊勢国長島へ移転しました。 天正元年(1573) 清洲城下への願入を行い、後に清洲へ移住。 当時の文献には、『福島宰相正則朝臣を便り、「便利な地を見立てて移るべし」と申され、この言葉を受け、尾張国清洲五条橋の地・朝日郷に移住し「久遠山見立寺」と号しました。』と記されています。 慶長15年(1610) 当寺中興開山浄光上人により、現在の地に至り「見立」を改め「久遠山賢隆寺」と改称しました。 浄光上人は、久遠寺過去帳の中で事実上の開基上人であります。 宝暦11年9月4日(1761) 当寺第九世昴運上人によって、山号寺号をひっくり返し現在の如く「賢隆山久遠寺」と山号寺号を改めました。 昭和20年3月19日(1945) 夜の大空襲によって境内建造物等全て焼失しました。 辛うじて、ご本尊阿弥陀如来像、掛軸数本が当寺第十八世貞親上人により難を免れました。 昭和22年 名古屋市の戦災復興土地区画整備事業(1947~1957)の一環で、市内に点在する279ヶ寺の墓地、合わせて約18ha、189,030基を平和公園へ移転しました。かなり徹底した事業で中区、東区、熱田区の寺院が中心に移転し、久遠寺墓地も移転しております。 昭和28年 戦後、焼け野原であった境内地に、先住職貞親上人・京子坊守と御檀家、御同行の多大な尽力により本堂建立。 昭和32年 庫裡を建立。 昭和41年 祖師聖人700回大遠忌記念事業により、書院を建立。 平成12年6月 書庫を建立。 平成17年11月24日 旧庫裡を取り壊し、、御同行の多大な御懇志によって、新庫裡を㈱大脇によって建立しました。 会館名を、当寺第十八世住職(聞教院釋歓喜貞親上人)の法名から歓喜の語を頂戴し、当寺が祖師聖人の教えを聞かせて頂き、身を歓ばしめ心に喜ばしめる願いを込め『歓喜館』と命名しました。境内もこの機会を御縁とし、正門、参道、外壁を整備しました。 平成18年6月17日 歓喜館落成慶讃法要を勤修。現代社会の拠所となる新しい聞法の道場を完成させました。 平成20年3月 受付・休憩所を建立し、葬儀・行事等に利用できるように整備しました。
体験
法話

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