とがじんじゃ(さとみや)

砥鹿神社(里宮)


愛知県豊川市一宮町西垣内2
8:30-16:30
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

砥鹿神社(里宮)の基本情報



名称
砥鹿神社(里宮)
かな
とがじんじゃ(さとみや)

詳細情報

名称
砥鹿神社(里宮)
かな
とがじんじゃ(さとみや)
都道府県
愛知
住所
愛知県豊川市一宮町西垣内2
アクセス
交通アクセス[編集] 里宮まで 鉄道:JR飯田線 三河一宮駅 より徒歩で約5分。 バス:豊鉄バス「砥鹿神社前」バス停下車、徒歩で約2分。 奥宮まで 車:東名高速道路・豊川ICから国道151号を新城方面へ向かい、国道301号に入り作手方面へ向かうと「本宮山スカイライン」に接続する。 徒歩:本宮山山麓より登山道を利用。
行き方
東名高速道路「豊川インターチェンジ」より、新城方面に車で約5分<br> JR飯田線「三河一宮駅」下車徒歩約5分
公開時間
8:30-16:30
参拝料
なし
お手洗い
あり
御朱印
あり
御朱印帳
あり
創建時代
大宝年中(701~704年)
歴史
目次 1 歴史 1.1 創建 1.2 概史 1.3 神階 歴史[編集] 創建[編集] 社記(天正2年(1574年)の「三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起」)では、大宝年間(701年-704年)に文武天皇の時に天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が派遣され、本茂山(本宮山)の神を迎えて里宮が創建されたとする[1][2]。 現在も砥鹿神社奥宮が鎮座する本宮山は東三河地方では中心的な孤峰であり、山中には磐座、山麓には古墳群の分布が知られることから、古代から山自体を御神体として信仰する山岳信仰の対象であったと考えられている[2]。また上記伝承に見える草鹿砥氏は砥...Wikipediaで続きを読む
御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
御神体
本宮山
御由緒
昔、大己貴命(おおなむちのみこと)が国土を開拓し諸国をめぐられ、但馬国朝来郡赤淵宮(兵庫県・赤淵神社)にお移りになって、さらに三河国(現在の愛知県東部)に向かわれた。(『但馬国続風土記』)<br> 社伝によれば、大己貴命(おおなむちのみこと)はその後、「本茂山(もとしげやま)」(本宮山)にとどまって、この山をながく神霊をとどめておく所「止所(とが)の地」とされたことが、砥鹿神社の起こりです。<br> 里宮の起源は、次のように伝わっています。<br> 大宝年間(701〜704年)、文武天皇の病を鎮めるために、勅使が「煙巌山」に派遣されました。山中で道に迷っていたところ、老翁の導きによって無事祈願を果たし、天皇の病も平癒されました。<br> 天皇はこの老翁に礼を尽くすため再び勅使を派遣し、「本茂山」で老翁と再会します。老翁の望みにより、麓に宮を定めることとなりました。
引用元情報
「砥鹿神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A0%A5%E9%B9%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=89389795
概要
砥鹿神社(とがじんじゃ)は、愛知県豊川市にある神社。式内小社、三河国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。東海地方の総鎮守として崇敬される。 本宮山(豊川市・岡崎市・新城市の境、海抜789メートル)の山頂に奥宮(豊川市上長山町本宮下)、山麓に里宮(豊川市一宮町西垣内)が鎮座する。
体験
祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り一の宮伝説

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