中山神明社の基本情報
詳細情報
御祭神
《合》天火明命(大正5年合祀),天津彦根命(大正3年合祀),《主》豊受毘売命
御由緒
元和8年(1622)庄屋役の生田新左ヱ門宗義の願い出により木多下総守から宮地として除地の墨印を拝領、源氏神明宮として屋敷内に祀られた後、字源氏(源氏町4丁目付近)に遷された。 源氏という字の謂われとして、平治元年(1159)平治の乱で平清盛に敗れた源義朝が、家臣の身内である長田忠致を頼った際、忠致は平家の恩賞にあずかろうと義朝を裏切って殺した。この義朝謀殺に反対していた忠致の兄、親致はこの事件により自分の身が危うくなり、大浜郷棚尾に隠れ住んだ。これによりこの地を源氏と呼称するようになったとされる。また、この伝承とは別に、鎌倉時代初め、源氏の武将である熊谷若狭直氏が地頭として棚尾に移り住んだ際、高台であったこの辺りを源氏山と称した為、源氏という字名が付けられたという説もある。 社格は村社 (中山神明社 栞より)