海徳寺の基本情報
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歴史
歴史[編集] 寛正3年(1462年)、守翁西演和尚がこの地に草庵を築いたのが海徳寺の始まりである[1]。嘉永元年(1848年)には審空和尚(第20代)によって本堂が再建された[2]。 明治初期の神仏分離令の混乱期にあった1869年(明治2年)、寂空和尚(第22代)は伊勢国の菩提山神宮寺(同年に廃寺)から廃棄寸前の仏像六十余体を譲り受け、木造阿弥陀如来坐像を本尊とした[2]。 1959年(昭和34年)の伊勢湾台風では鬼瓦が損傷したが、修復不能と判断されて本堂脇に置かれている[1]。1962年(昭和37年)には西側の大浜街道が拡幅され、この際に楼門が西向きから南向きに替えられた[1]。楼門に...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「海徳寺 (碧南市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B5%B7%E5%BE%B3%E5%AF%BA%20(%E7%A2%A7%E5%8D%97%E5%B8%82)&oldid=87871265
概要
海徳寺(かいとくじ)は、愛知県碧南市音羽町1丁目30にある浄土宗西山深草派の寺院である。山号は南面山。寛正3年(1462年)創建。三河新四国八十八ヶ所霊場第81番・第82番札所。大浜てらまちと呼ばれる地域にある。