西方寺の基本情報
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歴史
歴史[編集] 本堂 太鼓堂 建仁3年(1203年)、三河碧海郡棚尾村に、天台宗の光照寺(こうしょうじ)として創建された。貞永元年(1232年)、念雅僧都の代に親鸞に帰依したことで、天台宗から浄土真宗に改宗した[1][2]。明応5年(1496年)、碧海郡大浜の現在地に移り、法応山西方寺(さいほうじ)と改称した[2]。 1871年(明治4年)には廃仏毀釈に反対する大浜騒動(鷲塚騒動)が起こり、西方寺も民衆による詰問の対象となった。同じく1871年(明治4年)には、西方寺に「新民序」と呼ばれる学校が、周辺の各村には「新民塾」と呼ばれる学校がつくられ、これらはのちに小学校になった[3]。...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「西方寺 (碧南市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%A5%BF%E6%96%B9%E5%AF%BA%20(%E7%A2%A7%E5%8D%97%E5%B8%82)&oldid=88210394
概要
西方寺(さいほうじ)は、愛知県碧南市浜寺町にある真宗大谷派の寺院。大浜てらまちと呼ばれる地域にある。