吉浜善光寺の基本情報
詳細情報
行き方
・公共交通機関:名鉄吉浜駅より8分 ・お車:吉浜公民館交差点を曲がり、一方通行の道路を直進して右側にあります。 駐車場は、西に向かったところにある「吉浜人形」駐車場をご利用ください。 その際、吉浜人形様にご許可いただいておりますが、できれば吉浜人形様にもお立ち寄りください。 ※一時参拝のかたは、お寺正門手前の観音堂前に「停車」はできます。
公開時間
・本堂前参拝は、午前8時~午後5時 ・本堂内部参拝・祈願法要・ご相談等は、庫裏までお声掛けいただけますと午前9時~午後5時の間、ご入堂承ります。 ・地蔵堂内部参拝は、午前8時~午後5時 ・その他諸堂・境内参拝は午前8時~午後5時 となります。
参拝料
志納(各仏像前に賽銭箱ありますので仏様へお志をお願いします)
御朱印
あり本堂左にある吉浜善光寺地蔵堂内に印刷押印型の「
御本尊
【本堂】 秘仏金剛界大日如来/御前立金剛界大日如来/一光三尊善光寺如来/釈迦如来/阿弥陀如来/最上稲荷/弁財天/七福神/御法善神/三州瓦弥勒菩薩/不動明王/聖観音菩薩/伝教大師/弘法大師 【観音堂】 西国三十三観音 【参道】 良縁地蔵 【観音堂】 西国三十三観音 【その他】 地蔵堂みちびき地蔵/みちびき観音 【庫裏】 最上稲荷宣師会所属 七宝庵 祈祷本尊 宇賀弁財天/最上位経王大菩薩 ※七宝庵は登録商標です
御由緒
当寺院は、平安時代(保延6年:1140年)藤原一族である熱田神宮大宮司藤原秀範の妻で源頼朝の祖母(河内源氏一族の源行遠の娘)が眼病を患い、本尊大日如来に三七(二十一日間)の願をかけ、満願の日に無事眼病平癒となった。これを機に現在の高浜市吉浜の地に、お御堂を建て大日如来像を移し、光明寺と名付けられた。 途中、信長の兵火に焼かれるも無事であり、ささやかな祠に祀られてきた。 江戸前期(明暦2年:1656年)、徳川四代将軍家綱公家臣の大平左衛門が重い眼病を罹い、こちらの大日如来に祈願のところ、またしても、たちまち治癒となった。これを機に、光明寺は再建された。一方、里人たちも効験に大変喜び、手作りの人形を大日如来に奉納し、同時に参詣者を楽しませるものとした。これが細工人形発祥と伝えられている。 江戸後期には真言宗の寂れた寺院であったところ、明治25年岡崎市の名刹天台宗真福寺の一山柳池院が移転するも、明治43年津波により本堂流失のため新築され、大日如来等諸仏の効験を求め、病気平癒、厄難消除、心願成就を願う多くの参詣者で賑わっている。 なお、天台宗ゆえ祈祷・供養はもちろん天台密教に基づく修法となるものの、宗派問わず、老若男女気兼ねなくお参りができるように、令和2年、無住寺院に現住職が入寺した際の悲願として、世界遺産信州善光寺傘下の寺院「吉浜善光寺」として公式登録された。 一光三尊形式の善光寺如来は、衣浦湾沿いの碧海地方では祀られておらず、善光寺参りができる貴重な宗教的スポットであり、5月上旬休日に行われる「秘仏本尊御開帳」「秘仏善光寺如来御開帳」は遠路より参拝客で賑わい、高浜市の主要な観光拠点にもなっている。 また、碧海地方はもとより、近くの安城市、西尾市にも「天台宗」寺院はなく、「仏教の母山」と言われる比叡山延暦寺を総本山とする、西三河では貴重な「天台宗」寺院である。
札所
【吉浜善光寺】 全国善光寺会所属寺院 吉浜善光寺一光三尊阿弥陀如来 【最上稲荷宣師会所属 七宝庵】 最上稲荷宣師会所属結社 ほか ※七宝庵は特許庁登録商標です
体験
坐禅(座禅)写経・写仏祈祷お祓いお宮参り絵馬結婚式七五三仏像傾聴御朱印お守り祭り武将・サムライ札所・七福神巡り伝説法話
吉浜善光寺へのアクセス
行き方
・公共交通機関:名鉄吉浜駅より8分 ・お車:吉浜公民館交差点を曲がり、一方通行の道路を直進して右側にあります。 駐車場は、西に向かったところにある「吉浜人形」駐車場をご利用ください。 その際、吉浜人形様にご許可いただいておりますが、できれば吉浜人形様にもお立ち寄りください。 ※一時参拝のかたは、お寺正門手前の観音堂前に「停車」はできます。