西福寺の基本情報
詳細情報
歴史
歴史[編集] 建長6年(1254年)、北条時頼が諸国を巡遊していた折に創建された[1]。当初は大きな伽藍を持つ天台宗の寺院だったが、元弘元年(1331年)には兵火で焼失した[1]。焼け跡に道全沙弥が草庵を結ぶと、名古屋・熱田の正覚寺から章久養玉上人が泊まった折に、この地で悟りを開いて堂塔を再建した[1]。この際に浄土宗に改宗し、文安元年(1444年)に西福寺と名づけられた[1]。章久養玉上人は草庵の頭上の北斗七星に感見を受け、北星山という山号を与えている[1]。明治4年(1871年)には岡崎の伊賀八幡宮から鐘楼が移築された[2]。 ^ a b c d e 町村合併10周年記念町誌編集...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「西福寺 (西尾市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%A5%BF%E7%A6%8F%E5%AF%BA%20(%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%B8%82)&oldid=87709436
概要
西福寺(さいふくじ)は、愛知県西尾市吉良町吉田桐杭27にある浄土宗の寺院。山号は北星山。本尊は阿弥陀如来坐像。江戸時代前期の鐘楼が愛知県指定有形文化財に指定されている。