円融寺の基本情報
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歴史
歴史[編集] 大永5年(1525年)、この地に巡錫した長宮院日詮によって開創された[1] [2]。なお、1999年の「吉良町史」では日詮による「中興」であるとしている[3]。かつて宮迫村には7つの寺院があったが、円融寺に日詮が入ったのち村民が挙って日蓮宗に改宗したことから、他の寺はいずれも廃寺になったという[1]。境内にある観音堂は吉良義冬の男児出生の祈願所となったと伝えられており、寺院裏手の山にある公共墓地には赤穂事件の際に討死した清水一学の墓所がある[1]。 江戸時代後期および明治時代の改築・修繕の記録から、本堂や番神堂・玄関・庫裏は築200年以上が経過[1]。書院・山門・庫裡は18...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「円融寺 (西尾市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%86%86%E8%9E%8D%E5%AF%BA%20(%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%B8%82)&oldid=87709309
概要
円融寺(えんゆうじ)は愛知県西尾市にある日蓮宗の寺院。山号は龍光山(りゅうこうざん)、本尊は十界大曼荼羅。