多和神社の基本情報
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歴史
歴史[編集] 創建時期は不明である。志度寺に隣接しており、889年(寛平元年)、八幡神を祀り「多和八幡宮」と改称していたという。1479年(文明11年)に志度寺とともに焼失する。1671年(寛文11年)、高松藩藩主松平頼重の手で志度寺が復興されると、多和神社も復興される。この時、現在地に移転する(1623年(元和9年)現在地に遷座の説もあり)。幕末期の宮司・松岡調は国学者としても知られ、後に金刀比羅宮の宮司も務めた。彼が研究のために集めた典籍や事物が社内の「多和文庫(香木舎)」として保管されている。 表話編歴神道 ポータル神道 ウィキプロジェクト神道基礎 神道(歴史) 日本神話 神 日...Wikipediaで続きを読む
御祭神
〈主〉速秋津姫命〈相〉大鞆和気命,帯仲津彦命,息長帯姫命,天照大日売命,大雀尊,倭建尊,
引用元情報
「多和神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%9A%E5%92%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=64231961
概要
多和神社(たわじんじゃ)は、香川県さぬき市志度にある神社。式内社で、讃岐国三宮と伝える。旧社格は郷社。